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8月18日 荻窪のケンヨガスタジオでワークショプを開催しました。

内容の簡単なトピックです。


○ アシュタンガヨガの背景
アシュタンガヨガを創設したパタビジョイス師も、またその師のクリシュナマチャリア師もヴェーダの偉大な研究者であった。その膨大なヴェーダの智恵を背景にアサナ(ポーズ)の練習方法を生み出した。一般的なアサナの教本は、「ハタヨガプラディピカ」である。しかし、あえて純粋な哲学の聖典「ヨガスートラ」より、アシュタンガヨガを産み出しているので、その本質は「ヨガスートラ」を理解しないと判らない。

○ コーシャとアシュタンガの関連
人間は5つのコーシャ(層)より成り立っている。そして、そのそれぞれのコーシャを浄化する手段として、八支則の段階が対応している。たとえば、アサナはアンナマヤコーシャの浄化のためにあるように。

○ パンチャクレーシャ(5つの苦しみ)
経典は、自分自身を理解するのにとても大切な役割を果たしている。日常生活の悩みや苦しみが、どの様にして生まれ、そしてその原因となるものは何かを知るには、先ずはパンチャクレーシャを理解する必要がある。

○ ヤマとニヤマ
ヨガスートラは非常に洗練された経典なので、各スローカの順番については、非常に考え抜かれて配置されている。例えば、ヤマとニヤマの順番についても、なぜあの順番に並んでいるかを瞑想し、その理由を知るとその本質が見えてくる。

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ヨガを生活すべてに活かして幸せを

私のヨガクラスの特長は、一度受けられた方は判りますが、受けていない方には中々想像できません。

なぜなら、アーサナの練習の前に、必ず日常生活の事柄からヨガの教えにつなげ、それによってヨガの練習意味を説いてから始めるからです。

その内容は、普段生活していてふと思い浮かべます。以前クラスをしていたティップネスワンでは、毎週違うトピックで5年以上続けました。

最近では、広島で毎月ワークショップを開催し、1時間30分以上そのトピックを掘り下げて、ヨガ哲学のクラスが展開されます。

先月広島で開催したワークショップのトピックをご紹介します。実際のクラスでは、それぞれのトピックについてじっくり語りますが、今回はトピックだけ取り上げます。

読者それぞれの方が、ご自分でそのトピックについて考えるのも一つの方法です。


広島ワークショップ(8月4日)開催のトピック

○「私」とは本当は誰なのか?

現代のスーパーコンピューターは、最早人間の人格を創造できてしまう。このことは、自分自身の性格や日ごろの思いや考えも、あるパターンによって自動的に創られていることを証明している。では、本当の自分とは一体何者であるのか?その問いに対する答えが、ヨガ哲学の知識(ギャーナ)によって導き出せる。

○オリンピックで感じる一体感と感動の源流は?

オリンピックの競技を通じて、国民は一つとなりその時一体感を感じる。その瞬間どんな人にも何か共通に感じる不思議な力を感じて感動する。ヨガで求めるアートマン、即ち真我も宇宙あらゆるところに遍く存在している。オリンピックの競技を通じて感じる一体感は、誰でもその存在を感じることができることを示している。しかしながら、その甘美な感動は一瞬で終わってしまう。

○ 一体感と同情の違い
震災で被災した人々に同情することと一体感とは、似ているようで実は全く違う。同情は、字の通り情を合わせることで、その過程は被災していない安全な自分と被災した困難な人々という区別が存在して、情だけを合わせる行為である。しかし、一体感とは、根本的に「エゴ」を取り除いたところに存在する。

○ヨガは最高に崇高な自分を見つける行為

ヨガは既に自分が持っている最高に崇高な自分に気づく行為である。その為、ヨガの練習姿勢やヨガスタジオにおいて、神聖なものを求める雰囲気がとても大切である。もしそうしたものが無ければ、たとうヨガをしているように見えても、一生自分自身の中に最高のものを見出せず、日常的なつまらない自分で人生を終えることになる。

○トリグナの制約と解放

この宇宙は物質原理即ちプラクリティより成り立っている。そして、そのプラクリティは3つの要素から構成される。サットバ・ラジャス・タマスである。そして、我々の意識が向上するのは、サットバの性質にいる時のみなので、日常生活でサットバに親しむようにしていく必要がある。


8月18日 土曜日 ケンヨカスタジオにていワークショップを開催します。

ケンヨガスタジオ  ワークショップ

太陽の時代と内省 ワークショップのお知らせ

ワークショプのテーマは、太陽礼拝と陰ヨガです。

価値観の多様性と混乱、そして震災で人々は生きる指針を見失いがちです。

しかしどのような状況でも、太陽はプラナを地球に降り注ぎ、生きるものすべてを養っています。

これから人々は太陽の価値を再認識し、新しい価値観を生み出し、太陽の元に集まり統一と調和がもたらされることでしょう。

その為にヨガで太陽礼拝と内省することは、真なる自分を見出し我々の進むべき道を見出す大切な機会となるでしょう。

そんな時代の流れに乗れるように、今回のワークショップは意図されています。

皆様の参加をお待ちしております。

(日時) 4月21日 土曜日

(場所) 荻窪 ケンヨガスタジオ

クラス1 『人生に革命をもたらす太陽礼拝』
クラス2 『陰ヨガの実践と命輝くヨガの智恵』

http://kenyogastudio.blogspot.com/2012/02/421-ws.html

蓮の葉が水に汚 されないように

一般的にヨガと言うと、ハタヨガを中心としてポーズの練習を思い浮かべますが、実際はそれ以外にバクティヨガ(神に献身するヨガ)、ギャーナヨガ(哲学により知恵を身につけるヨガ)、カルマヨガ(行動のヨガ)など様々なヨガがあります。しかし、そのどれもが自分自身を浄化し自分の本質を知るための手段です。

そして、我々一般社会人が一番身近にできるヨガがカルマヨガです。なぜならば、すべての人は行為言動なしに日常生活を送ることは出来ないからです。カルマヨガとは、そうした日常の行動を通じて、自分を浄化する方法なのです。

では、どのようにして浄化するかと言うと、自分の行為言動に対して代償や結果を求めず、純粋に行為そのものに意識集中することなのです。今現在の行為は、過去のカルマによって生じているので、それに対して色々評価したり考えたりせず、今この瞬間に集中して行為する受け入れることで、過去の因縁は消化されていくのです。

一般に多くの人は、自分の言動に対して見返りを求め、結果に対して良かった悪かったを評価します。そうすることによって益々人は感情によって生み出される想念によって支配され執着を深めて生きます。最終的には、自分自身を自分で束縛し新たな因縁を生み出します。

ポーズの練習も、自分のポーズを評価したり他人と比べたりすると、意識を自分の内面に向けることが出来なくなってしまい、あせりや苛立ちを感じ練習を楽しめることができなくなってしまい、そうしたマインドが怪我を引き起こしてしまう場合もあります。ですから、ポーズの練習も広い意味で言えばカルマヨガなのです。

ヨガの聖典「バガヴァド・ギーター」第5章10スローカには、カルマヨガの紹介として次のような記述があります。

「すべての行為行動をブラフマン(宇宙の創造主)に委ね、執着を捨てて行為する人は、罪悪により汚されない。蓮の葉が水に汚されないように。」

最初に、このスローカを読んだ時、「蓮の葉が水に汚されないように」の箇所に違和感を感じました。インド哲学の世界では、「蓮」を悟りの象徴として良く用いられますが、蓮の葉だって池で生息している以上、水には濡れるだろうと思いました。

しかし、実際は本当に蓮の葉は、水に濡れなかったのです。それは、科学的に研究され「ロータス効果」と呼ばれているのです。

ロータス効果とは、ハスの葉はその微細構造と表面の化学的特性により、決して濡れることがない。葉の表面についた水は表面張力によって水銀のように丸まって水滴となり、泥や、小さい昆虫や、その他の異物を絡め取りながら転がり落ちてしまいます。この現象がロータス効果として、知られているのです。

その現象が、ナノテクノロジーとしてフッ素化合物やシリコーンに取り入れられ、現代の生活にも広く応用されています。その効果を2000年以上昔から人々は自然観察によって知り、それをカルマヨガの譬えとして、見事に表現しているのです。

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上野不忍池で撮影。

8つの幸せ

震災で家族や自宅や職場を失った人々を、ニュースで目の当たりにしていた時に、ふと聖書の言葉が心の奥から浮かびました。

イエスが山上の垂訓として語った言葉で。「貧しき人は幸いである、天国は彼らのものである」という言葉です。子供の時にこの話を聖書で読んだ当時、正直貧乏人ではなく、金持ちになりたいと思いました。なぜ、イエスは貧しき人を推奨するようなことを言うのか判りませんでした。

しかし、後年瞑想やヨガをすることによって、意識が浄化されクリアーになった時、その意味が始めて判りました。イエスが貧しいというのは、物質的なものではなく、人が信じる対象のことを指していて、その対象が少ないほど天国に近くなるということを。

一般的に人間は、自分(エゴ)を投影する様々なものに信頼を置いています。たとえば、社会的位置やお金や自動車や洋服や人間関係や自分の身体など沢山のものを抱えて、それらに対して価値を見出して、信じることによって自分自身を見出しています。

宗教に入信していない人でも、自分(エゴ)が決めた価値ある対象をいくつか決めて、それを信じて毎日の人生を送っています。それは宗教の教祖の代わりに、信仰の対象がお金だったり、社会的名声であったりするだけで、全く同じ心理的パターンです。

そうした時に問題なのは、そうした信仰の対象は必ず変化するもので、永続するものは何一つないということです。そしてその信じるものが原因で、人間は嘆きや悲しみや苦しみを抱えています。

では、私たちは何を信じて生きればいいのでしょうか。それを考える時、先ず知るべきことは、人は本当に自分の力で生きているのかということです。空気が地球から無くなったら、人間は直ぐに死んでしまいます。また、水にしても同様です。また、自分の身体も、自分の意思とは関係なく心臓をはじめ様々な器官が働き、生命を維持しています。

それらは、エゴとは全く関係がない力によって統制され、人間を生かしているのです。ですから、私たちが本当に信じるべきものは、私たちを生かしている存在ではないでしょうか。

我々が、自分(エゴ)を投影する外的要素に対する様々な執着を捨て、私たちを生かしている存在だけを真に信じることが出来たならば、天国はその人のもとなるでしょう。

ヨガではシバ神がとても重要ですが、シバ神の役割は人間のあらゆる執着を取ることです。「ハリーオーム」と唱えることで、我からあらゆる執着を取り除きたまえということを意味します。

私は宗教に入信していませんが、イエスの言葉やヨガの哲学の中に共通した真理を見出すことができて、とてもそれらに触れることが大好きです。

最後にイエスが語った「8つの幸せ」を、震災に苦しむ多くの日本の人々と共に、シェアしたいと思います。


貧しい人たちは、幸いである、
天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは、幸いである、
彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、幸いである、
彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは、幸いである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、幸いである、
彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは、幸いである、
彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは、幸いである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは、
幸いである、
天国は彼らのものである。

マタイによる福音書5章

プロフィール

ユキオ

Author:ユキオ
学生時代の頃より、東洋思想・インド哲学に親しむ。特にインドの思想家のクリシュナムルティと禅の道元禅師に影響を受ける

1998年 背中の強い痛みの改善としてヨガを始める佐保田鶴治氏、番場一雄氏、アイアンガー氏の著作をもとに毎日自宅にてアーサナの実習を行う。
2001年 綿本彰氏の綿本ヨーガスタジオにて、ハタヨガのアーサナの指導を受ける指導者養成コース上級終了 呼吸法コース終了
2003年 ケン・ハラクマ氏のIYCにて、アシュタンガヨガの指導受ける。IYCアシュタンガヨガ指導者コース終了
現在 IYCにて指導中

昼間は、システムエンジアとして背広を着てます。

問い合わせ・連絡先メールアドレス
asathomaom@gmail.com

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