スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画「マトリックス」とヴェータ哲学  ヨガヨム26号

ヨガヨム26号にコラムが掲載されました。

ブログ読者の特典として、youtubeの映像をお届けします。

オリジナルな「アサトマ」のマントラ
http://www.youtube.com/watch?v=1zCFhqEFJwI&feature=related

映画「マトリックス」 リボリューションより
最後の二人の対決に『Navras』がフューチャーされています。
http://www.youtube.com/watch?v=7li9SG7zebU&feature=related

***********************************

映画『マトリックス』3部作は、優れた特殊撮影で話題を呼んだSF作品です。主人公ネオが、自分はコンピュータ上の仮想の世界で生きて、本当の自分は眠っていることに気付き、悪と対決する話です。しかしこの映画のテーマが、インドのヴェータ哲学であることを皆さんはご存知でしょうか?

なぜインド哲学がテーマなのかと言うと、映画『マトリックス レボリューションズ』のクレジットのサウンドトラックで、女性コーラスがサンスクリット語の「アサトマ」を歌うのです。そしてその曲タイトルが、インド古典舞台で表現される9種類の感情を意味する「ナバラサ」なのです。

マントラ「アサトマ」の意味は、「私を偽りの世界から真実の世界へ導きたまえ。闇の世界から光の世界に導き給え。死ぬべき命から永遠の命へ導きたまえ」です。

インド哲学の世界観では、人間が生きている世界は実は幻影で、真実の世界ではないと説きます。そして幻影を作り出す原因が、相対的概念です。つまり善と悪・好きと嫌い・始まりと終わり・男と女・生と死、そのどれもが必ず相手が在ってのみ存在するのです。

映画の世界で、主人公ネオを善としたならば、スミスは悪の象徴です。話が展開するに従ってネオは超人的なパワーを身に付けていきますが、対立する悪のスミスも同じくモンスター化していきます。なぜならばお互いが映し鏡なので、ネオが強くなると言うことはスミスも相対的に強くなるのです。

そして、最終的に巨大なパワーを身に付けた二人が対決することで善と悪が融合し、最後にスミスが「始まりがあるものには、終わりがある」とつぶやき崩壊し、仮想世界が相対性から脱却して、真の平和が訪れるのです。そこには、始まりも終わりも無い、永遠の真実があること、それがこの映画のテーマではないでしょうか。

「マトリックス」とは、ラテン語「母」を語源に持つ言葉で、英語では「何かを生み出す背景」を意味します。そしてコンピュータ用語では「変換」を意味し、プログラムの記述ソースをマトリックスして、デジタル世界を構築するという意味で用いられます。

私も仕事で、HTMLやJAVAなど様々なソースでプログラミングしますが、その全てが最終的には2進数、つまり0と1に翻訳され、電源のオン・オフとしてコンビュータに命令されます。つまりデジタルの映像や音楽は、全てオン・オフという相対性の組み合わせで創造されているのです。

仮に人間をコンピュータと見立てるならば、ハードウェアが身体で、マインドがソフトウェアです。しかし、それは始まりと終わりのある限りあるものです。では、永遠の命とはなんでしょうか。それはハードとソフトを起動する電気つまり光です。、それこそが我々の本質であり、「アサトマ」が導く永遠の真実の世界ではないでしょうか。
スポンサーサイト

バガヴァッド・ギーターとベートーヴェン ヨガヨム23号掲載

バガヴァッド・ギーターとベートーヴェン  2010年春掲載

ユキオ/背広ヨギ

インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』は、日本人にはまだ馴染みが薄いが、実は世界で最も読まれている本の一つである。1785年に英訳が出版され、以来ヨーロッパ中に急速に広まった。ベートーヴェンも読者の一人で、日記にギーターの一節を書き留めている。

当時西欧では「万物の全てに神が宿る」という汎神論が、ゲーテやシラーなどに支持されていた。インド哲学の「すべてのアーカーシャ(空間)に神が存在する」という考えと同じ。そして私は、ベートーヴェンの人生を象徴するギーターの文章が心に浮ぶ。

「亀が頭や手足を収めるように、感官の対象から感官をすべて収める時、その人の知恵は確立している。感覚を制御した人にとって、感官の対象は消滅する。味(ラサ)を除いて。最高の存在を見る時、彼にとって味(ラサ)もまた消滅する」(『バガヴァッド・ギーター』第二章58~59節)

一般に人は五感に振り回され、人生を見失う場合が多い。しかし五感の対象に執着しなければ、その人の中に知恵が生まれてくるのだろう。だが、五感を制御した場合でも、自らの内面に味(ラサ)は残るとされている。ラサとはサンスクリット語で「味覚」という意味で、インド芸術においては、観客が舞台から感じ取る感情のたとえとして、ナバ・ラサ(9つのラサ)を定義している。

 1)シュリランガーラー 恋愛
 2)ハースヤー     笑い
 3)カルナ       哀れみ
 4)ラウドラー     怒り
 5)ヴィーラー     勇敢
 6)バヤナカ      恐怖
 7)ヴィヴァスター   嫌悪
 8)アドゥブター    驚き
 9)シャンター     平穏

若くして天才と言われたベートーヴェンは宮廷で人気者だったが、恋愛では身分の違いで恋が実らず、しかも音楽家にとって致命的な難聴になり聴力を失い、自分の人生に哀れみ怒り自殺を考える。

その後再び勇気をもって作曲活動に専念し、数多くの傑作を生む。晩年、自分の後継者として甥のカールに伝えよう全ての精力を注ぎ込むが、あまりに厳しい教育がカールを恐怖の淵に追い詰め、カールは自殺未遂事件を引き起こす。果ては最愛のカールは彼から離れ、嫌悪と驚きでベートーヴェンは数年間何も作曲できなかった。

しかし若い頃に読んだ、汎神論を支持するシラーの詞「歓喜に寄せて」が、彼に心の平穏をもたらし最高傑作を生み出す。有名な交響曲第九番の第四楽章のテーマにのせて、以下の一節が華々しく歌われる。

 歓喜よ、美しい神々の花火よ、天上の楽園からの乙女よ!
 我らは情熱にあふれ、あなたの聖なる場所に足を踏み入れる。
 あなたの魔力は時流が厳しく切り離したものをも再び結び合わせ
 あなたの柔らかい翼が留まる所で、全ての人は兄弟となる。

ベートーヴェンは人生で味わうラサを越えて、究極の喜びを表現する為に作曲を再開したのであろう。シラーの「歓喜に寄せて」でのあなた(最高の存在)とは創造主ブラフマンを指し、「あなたの柔らかい翼が留まる所で、全ての人は兄弟となる」とは、ブラフマン(宇宙)とアートマン(真我)の一体を目指すものではないだろうか。

数々の傑作を生み出し、楽聖とまで言われたベートーヴェン。その背後に、『バガヴァッド・ギーター』の存在があった。波乱に満ちた生涯で全てを味わい尽くした彼は、人生という舞台から去るとき、「諸君、喝采を。喜劇の終わりだ」と呟いたと伝えられている。

皆既日食とヨガの世界観  ヨカヨム21号掲載

皆既日食とヨガの世界観  2009年 夏掲載

ユキオ / 背広ヨギ…ITエンジニアの傍ら、自ら実践してきたヨガより得た喜びと楽しさを多くの人と共有すべく、IYC 等でヨガを指導中

7月22日、世界各地で神秘的に月と太陽が重なり合う皆既日食が観測されました。多くの人が不思議な感動を覚え、実際に見た人は人生観が変わる経験をした人もいるようです。なぜそれほどまでに皆既日食は、人類の意識に影響を与えるのでしょうか。

それは皆既日食が奇跡的バランスにより生じた現象だからです。月と太陽の大きさは、1対400。月が1センチだったら太陽は4メートルです。この2つの天体が地球から見て完全に同じ大きさに見えるよう配置された状態が皆既日食です。では、その意味するところは何でしょうか?

そもそもハタヨガの「ハタ」とは、「ハ」が太陽、「タ」が月を表します。ハタヨガとは、身体に取り入れられた太陽と月の相対的エネルギーの調和を目的としています。

 ヨガの世界観ではこの世を「マーヤ(幻)」と定義しています。なぜ幻か?これは、人間がこの世をありのまま(万物は1つ)認識せず、エゴ(自我)を通して、相対した2つの価値で成立つ世界と認識しているからです

この相対的世界こそが我々の苦しみや悲しみの根源なのです。善と悪、好きと嫌い、成功と失敗、自分と他人、生と死といった相対的ものの見方は、必ず二つ一組によって成り立っています。そして、人間はその両極に執着することで、クレーシャ(苦しみ)を生じさせています。

 また、我々が日々行うアサナの練習について、哲学書『ヨーガ・スートラ』では、次のように述べています。

 アサナは、快適で安定したものでなければならない。
 緊張をゆるめ、無限なるものに意識を合わせることでアサナが習得される。
 そのとき行者は、相対世界に悩まされなくなる。
(『ヨーガ・スートラ』第2章第46~48節)

 つまりヨガの目的とは、身体的調和を経て、精神的調和へと至り、最終的に我々を苦しめる相対的世界から抜け出ることなのです。

相対的判断の世界に住み、そこに執着することで苦しみを生み出している私達。神は皆既日食という現象を通じて、月と太陽が完全に同じ大きさに見えることを示しました。それを通じて、相対世界に執着しないことの大切さを人類へ示唆しているのではないでしょうか。

 皆既日食からこのメッセージを把握できるのは、地球上の生命で唯一人間だけです。その意味するところは、人間の内なる意識が神の意識とつながっているということです。

 ヨーガに専心し、一切を平等に見る人は、自己を万物に存すると認め、また万物を自己のうちに見る。(『バガヴァッド・ギーター』第6章第29節)

日本語で理解するヨガの7つの知恵  ヨガヨム20号掲載

日本語で理解するヨガの7つの知恵  2009年春 掲載

ユキオ / 背広ヨギ

ヨガ発祥の地インドでは、サンクスリット語によってヨガの考え方が後世に伝えられました。サンスクリット語は表音文字で、太古の昔にリシ(*)達が深い瞑想の中で、宇宙を音で表現したものといわれています。それに対して漢字は表意文字といわれ、文字自体が意味を示しています。我々日本人は無意識に日本語を使っていますが、その言葉にはヨガ哲学と共通する考え方が隠されています。そういう意味で日本人は、ヨガの本質を理解しやすい意識を持った民族だと思います。

1) 諦めて真実を知る

「諦める」という言葉の真の意味は、物事をつまびらかに明らかに見るという意味です。ヨガでは、エゴ(自我)による判断せず、ありのままを見つめることの大切さが説かれます。私たちの心は外界の世界に対して、絶えず忙しく様々な判断をしています。その状態ではエゴが活発に活動している為、世界のすべてを受け入れ認識することができず、ヨガの目標である「宇宙と自分をつなげる」ことができません。その為、人生諦めが肝心というように、自分という意識を捨てることで、初めて私たちは宇宙とつながることができ、その時宇宙の真実に触れることができるのでしょう。

2) 一所懸命に生きて静寂を得る

一つの所に命を懸ける時、人は今この瞬間に意識を集中することになります。これにより、ヨガの目標である「心の動きが静止した状態」が生まれます。なぜならば、心(マナス)の動きは時間の流れに関係しているからです。怒りや悲しみは過去からやって来て、不安や心配は未来からやって来るといわれます。ですから、私達がそうした感情に支配されない為には、一所懸命に今に意識を集中させることが必要です。哲学書『ヨーガ・スートラ』は、サンスクリット語の「アタ」という「今」を意味する言葉から始まります。すなわちサマディに至るためには「アタ」が最も大切であることを示しています。

3) 腹をすえて迷いを断つ

日本語には、「腹をすえる」とか「腹を決める」という表現があります。これらは人間の意識と「腹」が深い関係にあることを示しています。「腹」は別な表現で言うと丹田に当たるでしょう。ヨガの練習でも「ムーラバンダ」という丹田の場所に似ている場所に、仙骨と恥骨を閉めてプラナ(気)を留めるテクニックが大切だとされています。これにより意識が覚醒し、真の自分が求めることをするようになり、最終的にはサマディ(悟り)に至ることができるのだと思います。その為にも、迷いのない人生を送れるよう、ヨガの練習を通じて腹がすわった意識を持つことが必要でしょう。

4) 正しい意識で調和を得る

人間社会の争いや混乱の原因は、人間がそれぞれ「異なった自分の立場」を主張し合うことによって生まれるといわれています。漢字の「正」とは、「一」に「止まる」ことを意味しています。ヨガの目指すところは、我々一人一人が内側に持っているアートマン(個我)とブラフマン(宇宙)とを結びつけることです。それがサマディといわれ、その時、人はすべての苦しみが滅び、平安が訪れるとされています。ですから、人間一人一人が自らのエゴによって生じる個々に異なる立場を超えて、宇宙という一つに意識を向けて正しく生きることで、初めてこの世の中に調和と平安が訪れるのでしょう。

5) 想いに囚われず淡々と生きる

「想」とは「心に相対している状態」を示しています。しかし、そうした「想い」を多く抱えると、人間は束縛の中で苦しむこととなります。過去に生じた想いにこだわることで、また新たなカルマを創りあげてしまいます。本来感情とは川の流れのように浮かんでは消えていく存在ですが、それに執着(ヴァイラーギャ)してしまうと、川の流れが滞り、苦しみ(ドゥカ)という濁りが生じてしまいます。ですから、過去に生じた感情へのこだわり、すなわち「想い」を捨てることによって、川の流れが清らかになり、自分が本当に進むべき道が見えてくるのではないでしょうか。

6) 自分を本当に助けるのは自分自身

「助」とは「且つ」と「力」で構成され、2つの力が同時に存在したときに真に助けられることを意味しています。ヨガでは意識を内側に向けることによって、自分の中に存在するアートマンの意識に耳を傾けることが大切だと説かれます。聖典『バガヴッド・ギーター』の中で語られるアルジュナとクリシュナの会話は、アートマンとエゴの会話を象徴していると言われています。それ故、我々が日常生活で悩みや迷いから救われるべく本当の導きを得るには、決して外部に依存した救いを求めるのではなく、意識を内側に向け、自らのアートマンとエゴの2つが、力を合わせることが必要不可欠です。

7) 神の存在を知り全てに輝きを見出す

「神」という言葉は、「示」と「申」という言葉から成り立ち、神とは申し示す存在であることを意味しています。ですから、神とは何らかのご利益を願い祈る対象ではなく、本来我々の前に存在することによって、自分自身そして宇宙を理解するヒントを申し示す存在であることを意味しています。パタビ・ジョイス師は、ヨガの練習をすることで浄化が進み、自らが力強くなると、「観るもの全てに神をみることができるようになる」と言っています。その状態こそが、ヨガの求める「サット(真実)」、「チッタ(意識)」、「アーナンダ(至福)」を得た状態といえるでしょう。

*)リシ・・・本来サンスクリット語で、ヴェーダ聖典を感得した神話・伝説上の聖者あるいは賢者達のこと。インド学では「聖賢」などと訳される。

ヨガを楽しむ7つのヒント  ヨガヨム16号掲載

ヨガを楽しむ7つのヒント  2008年夏 掲載

ユキオ/背広ヨギ

私たちが普段実践しているアサナの練習は、様々な恩恵をもたらしてくれます。しかし、ヨガは身体が硬い人には向かないとか、高度なポーズをとることがよいとか誤解されている面もあります。そこで今回はヨガをより多くの老若男女が末永く楽しみ、その恩恵を得るためのヒントを紹介したいと思います。

1))お腹のマッサージで毒素排出 

 アサナは内臓をマッサージして老廃物を排出する働きがある点で、他の運動と比べて優れています。前屈、捻り、逆立ちなどで様々な刺激を内蔵に与え排出効果を高めます。病気の主な原因に、食べたものがうまく排出されないことがあることを考えると、健康維持に非常に有効です。
 また、お腹は感情のわだかまりが溜まる場所でもあります。「腹黒い」、「腹が立つ」、「腹に一物がある」などネガティブな表現も多くあります。精神的なストレスを抱えている人はお腹が硬直して、前屈が苦手な場合があります。しかし、身体は心とつながっているため、アサナの内臓マッサージ効果はそうした精神的わだかまりもほぐしてくれます。

2))抗重力効果でアンチエイジング

 人間の老化の原因のひとつに地球の重力があります。生まれてから死ぬまで、皮膚・内臓・骨など全てに地面へ向かう力がかかり、歳を重ねる毎に押しつぶされ、垂れ下がり老化してゆきます。ヨガでは頭立ちがアサナの王、肩立ちが女王と言われるほど逆転系のポーズが重視されるのも、日常とは逆の力を細胞に加えることで、若返りに効果があるからとも言われています。
 またムーラバンダとウディヤーナバンダは、人間が背筋を真っ直ぐにして立つために必要であり、アサナの練習の中でこのふたつのバンダを意識することは、常に若い姿勢を保ち、内蔵を正常な場所に収める効果があります。

3))質の良い睡眠で若返り

 ヨガは朝行うのが一番よいとされています。この習慣が身につくと早寝早起きになります。心身の回復を図る睡眠の最も効果的な時間帯が夜10時から2時とされていています。この時間帯は、人を睡眠に導き老化防止の働きをもつメラトニンや成長ホルモンが分泌され身体の再生が促進されます。
 また、ヨガの目的でもある心の働きを停止させる練習を日々していると、夢を見ることが少なくなります。夢はエゴの働きによるもので、夢を見ていない状態こそ真我に近いとされ、夢を見ていない深い睡眠中に真我からエネルギーを受けて、心がリフレシュされると言われています。

4)ストレス解消で健やかに生きる

 我々社会人は普段から良い食生活を心がけようとしても、日常生活の心のわだかまりからくるストレスによって、暴飲暴食をして体調を崩してしまうことがしばしばあります。ストレスは溜めずに、上手に解消することが大切です。ただし、その解消方法を他人や他の生き物に向けると、必ず自分に返ってくるという法則があります。
ヨガではアサナで身体に溜まったストレスを引き出し、呼吸の吐く息でそのストレスを宇宙に戻し、吸う息で天からのエネルギーを頂いて心身を健やかに保つ作用があり、理想的なストレス解消法と言えるでしょう。

5)意識の拡大で感謝の心を育む

 悩み事や心配事があると肩はこわばりお腹は硬くなり、目先のことにばかりに心が奪われ、視野や意識が狭まります。そんな状況でも、アサナによって身体を開いてゆくと、心のこわばりも少しずつ解消されます。さらに、プラナヤマ(呼吸法)により太陽からのプラナエネルギーを体内に取り入れることができます。
 太陽礼拝をすると、宇宙の遥かかなたにある天体太陽からプラナエネルギーが地球に降り注ぎ、大地からの恵みによって我々は生きていることに気づきます。この宇宙の壮大なシステムの中で、人間は生かされている存在だと意識を広げて実感した時、狭い意識の悩みは消え去り自分の存在が生かされていることへの感謝が育まれ、全てに満ちたりていることを実感するでしょう。

6)必要最小限で自由自在に生きる

 ヨガの練習をひと言で表現するなら「身につける作業ではなく、あらゆるものを捨てる作業」とも言えます。日々の練習を通じて自分の身体や心の不要なものが、少しずつ取り除かれていくことで、深い満足感を覚えたことのある方も多いと思います。これは我々の内側に、既に満ち足りることのできる素晴らしいものが存在することを意味します。
 そうした経験をヨガの練習ですると、普段の生活でも必要以上の物を持ったり、食べすぎたりせず、より快適に過ごせるようになります。ストレスの原因には、自分自身が抱く様々な想いがうまくその通りにならないことがあります。しかし、エゴが作り出す想いを捨ててゆくと、周りの状況を受け入れられるようになり、ストレスが生じにくくなります。そうすれば人は外の環境を変えることなく、真の意味で自由自在な生き方ができることでしょう。

7)調和とバランスを保ち中心を得る

 アサナの練習の中で自分の身体のバランスと調和を保つことは大切です。多くの人はアサナを通して自分の身体の歪みやアンバランスさに気づきます。しかし、それに気づいた時、調和とバランスを取る練習で、身体だけでなく心まで整えることが大切です。人間とは身体を通じて、自分の心を理解し整えることのできる存在なのです。
 調和とバランスを保つには、まずは自分の内側に中心を置き、次いで外の世界に執着しないことが必要です。これにより自分の存在意義や価値観を、外の世界ではなく自分の中心に見出せるようになり、どんな状況でも自分を見失わない充実した人生が歩めるのではないでしょうか。
プロフィール

ユキオ

Author:ユキオ
学生時代の頃より、東洋思想・インド哲学に親しむ。特にインドの思想家のクリシュナムルティと禅の道元禅師に影響を受ける

1998年 背中の強い痛みの改善としてヨガを始める佐保田鶴治氏、番場一雄氏、アイアンガー氏の著作をもとに毎日自宅にてアーサナの実習を行う。
2001年 綿本彰氏の綿本ヨーガスタジオにて、ハタヨガのアーサナの指導を受ける指導者養成コース上級終了 呼吸法コース終了
2003年 ケン・ハラクマ氏のIYCにて、アシュタンガヨガの指導受ける。IYCアシュタンガヨガ指導者コース終了
現在 IYCにて指導中

昼間は、システムエンジアとして背広を着てます。

問い合わせ・連絡先メールアドレス
asathomaom@gmail.com

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。