太陽の時代と内省 ワークショップのお知らせ
ワークショプのテーマは、太陽礼拝と陰ヨガです。
価値観の多様性と混乱、そして震災で人々は生きる指針を見失いがちです。
しかしどのような状況でも、太陽はプラナを地球に降り注ぎ、生きるものすべてを養っています。
これから人々は太陽の価値を再認識し、新しい価値観を生み出し、太陽の元に集まり統一と調和がもたらされることでしょう。
その為にヨガで太陽礼拝と内省することは、真なる自分を見出し我々の進むべき道を見出す大切な機会となるでしょう。
そんな時代の流れに乗れるように、今回のワークショップは意図されています。
皆様の参加をお待ちしております。
(日時) 4月21日 土曜日
(場所) 荻窪 ケンヨガスタジオ
クラス1 『人生に革命をもたらす太陽礼拝』
クラス2 『陰ヨガの実践と命輝くヨガの智恵』
http://kenyogastudio.blogspot.com/2012/02/421-ws.html
価値観の多様性と混乱、そして震災で人々は生きる指針を見失いがちです。
しかしどのような状況でも、太陽はプラナを地球に降り注ぎ、生きるものすべてを養っています。
これから人々は太陽の価値を再認識し、新しい価値観を生み出し、太陽の元に集まり統一と調和がもたらされることでしょう。
その為にヨガで太陽礼拝と内省することは、真なる自分を見出し我々の進むべき道を見出す大切な機会となるでしょう。
そんな時代の流れに乗れるように、今回のワークショップは意図されています。
皆様の参加をお待ちしております。
(日時) 4月21日 土曜日
(場所) 荻窪 ケンヨガスタジオ
クラス1 『人生に革命をもたらす太陽礼拝』
クラス2 『陰ヨガの実践と命輝くヨガの智恵』
http://kenyogastudio.blogspot.com/2012/02/421-ws.html
蓮の葉が水に汚 されないように
一般的にヨガと言うと、ハタヨガを中心としてポーズの練習を思い浮かべますが、実際はそれ以外にバクティヨガ(神に献身するヨガ)、ギャーナヨガ(哲学により知恵を身につけるヨガ)、カルマヨガ(行動のヨガ)など様々なヨガがあります。しかし、そのどれもが自分自身を浄化し自分の本質を知るための手段です。
そして、我々一般社会人が一番身近にできるヨガがカルマヨガです。なぜならば、すべての人は行為言動なしに日常生活を送ることは出来ないからです。カルマヨガとは、そうした日常の行動を通じて、自分を浄化する方法なのです。
では、どのようにして浄化するかと言うと、自分の行為言動に対して代償や結果を求めず、純粋に行為そのものに意識集中することなのです。今現在の行為は、過去のカルマによって生じているので、それに対して色々評価したり考えたりせず、今この瞬間に集中して行為する受け入れることで、過去の因縁は消化されていくのです。
一般に多くの人は、自分の言動に対して見返りを求め、結果に対して良かった悪かったを評価します。そうすることによって益々人は感情によって生み出される想念によって支配され執着を深めて生きます。最終的には、自分自身を自分で束縛し新たな因縁を生み出します。
ポーズの練習も、自分のポーズを評価したり他人と比べたりすると、意識を自分の内面に向けることが出来なくなってしまい、あせりや苛立ちを感じ練習を楽しめることができなくなってしまい、そうしたマインドが怪我を引き起こしてしまう場合もあります。ですから、ポーズの練習も広い意味で言えばカルマヨガなのです。
ヨガの聖典「バガヴァド・ギーター」第5章10スローカには、カルマヨガの紹介として次のような記述があります。
「すべての行為行動をブラフマン(宇宙の創造主)に委ね、執着を捨てて行為する人は、罪悪により汚されない。蓮の葉が水に汚されないように。」
最初に、このスローカを読んだ時、「蓮の葉が水に汚されないように」の箇所に違和感を感じました。インド哲学の世界では、「蓮」を悟りの象徴として良く用いられますが、蓮の葉だって池で生息している以上、水には濡れるだろうと思いました。
しかし、実際は本当に蓮の葉は、水に濡れなかったのです。それは、科学的に研究され「ロータス効果」と呼ばれているのです。
ロータス効果とは、ハスの葉はその微細構造と表面の化学的特性により、決して濡れることがない。葉の表面についた水は表面張力によって水銀のように丸まって水滴となり、泥や、小さい昆虫や、その他の異物を絡め取りながら転がり落ちてしまいます。この現象がロータス効果として、知られているのです。
その現象が、ナノテクノロジーとしてフッ素化合物やシリコーンに取り入れられ、現代の生活にも広く応用されています。その効果を2000年以上昔から人々は自然観察によって知り、それをカルマヨガの譬えとして、見事に表現しているのです。



そして、我々一般社会人が一番身近にできるヨガがカルマヨガです。なぜならば、すべての人は行為言動なしに日常生活を送ることは出来ないからです。カルマヨガとは、そうした日常の行動を通じて、自分を浄化する方法なのです。
では、どのようにして浄化するかと言うと、自分の行為言動に対して代償や結果を求めず、純粋に行為そのものに意識集中することなのです。今現在の行為は、過去のカルマによって生じているので、それに対して色々評価したり考えたりせず、今この瞬間に集中して行為する受け入れることで、過去の因縁は消化されていくのです。
一般に多くの人は、自分の言動に対して見返りを求め、結果に対して良かった悪かったを評価します。そうすることによって益々人は感情によって生み出される想念によって支配され執着を深めて生きます。最終的には、自分自身を自分で束縛し新たな因縁を生み出します。
ポーズの練習も、自分のポーズを評価したり他人と比べたりすると、意識を自分の内面に向けることが出来なくなってしまい、あせりや苛立ちを感じ練習を楽しめることができなくなってしまい、そうしたマインドが怪我を引き起こしてしまう場合もあります。ですから、ポーズの練習も広い意味で言えばカルマヨガなのです。
ヨガの聖典「バガヴァド・ギーター」第5章10スローカには、カルマヨガの紹介として次のような記述があります。
「すべての行為行動をブラフマン(宇宙の創造主)に委ね、執着を捨てて行為する人は、罪悪により汚されない。蓮の葉が水に汚されないように。」
最初に、このスローカを読んだ時、「蓮の葉が水に汚されないように」の箇所に違和感を感じました。インド哲学の世界では、「蓮」を悟りの象徴として良く用いられますが、蓮の葉だって池で生息している以上、水には濡れるだろうと思いました。
しかし、実際は本当に蓮の葉は、水に濡れなかったのです。それは、科学的に研究され「ロータス効果」と呼ばれているのです。
ロータス効果とは、ハスの葉はその微細構造と表面の化学的特性により、決して濡れることがない。葉の表面についた水は表面張力によって水銀のように丸まって水滴となり、泥や、小さい昆虫や、その他の異物を絡め取りながら転がり落ちてしまいます。この現象がロータス効果として、知られているのです。
その現象が、ナノテクノロジーとしてフッ素化合物やシリコーンに取り入れられ、現代の生活にも広く応用されています。その効果を2000年以上昔から人々は自然観察によって知り、それをカルマヨガの譬えとして、見事に表現しているのです。



8つの幸せ
震災で家族や自宅や職場を失った人々を、ニュースで目の当たりにしていた時に、ふと聖書の言葉が心の奥から浮かびました。
イエスが山上の垂訓として語った言葉で。「貧しき人は幸いである、天国は彼らのものである」という言葉です。子供の時にこの話を聖書で読んだ当時、正直貧乏人ではなく、金持ちになりたいと思いました。なぜ、イエスは貧しき人を推奨するようなことを言うのか判りませんでした。
しかし、後年瞑想やヨガをすることによって、意識が浄化されクリアーになった時、その意味が始めて判りました。イエスが貧しいというのは、物質的なものではなく、人が信じる対象のことを指していて、その対象が少ないほど天国に近くなるということを。
一般的に人間は、自分(エゴ)を投影する様々なものに信頼を置いています。たとえば、社会的位置やお金や自動車や洋服や人間関係や自分の身体など沢山のものを抱えて、それらに対して価値を見出して、信じることによって自分自身を見出しています。
宗教に入信していない人でも、自分(エゴ)が決めた価値ある対象をいくつか決めて、それを信じて毎日の人生を送っています。それは宗教の教祖の代わりに、信仰の対象がお金だったり、社会的名声であったりするだけで、全く同じ心理的パターンです。
そうした時に問題なのは、そうした信仰の対象は必ず変化するもので、永続するものは何一つないということです。そしてその信じるものが原因で、人間は嘆きや悲しみや苦しみを抱えています。
では、私たちは何を信じて生きればいいのでしょうか。それを考える時、先ず知るべきことは、人は本当に自分の力で生きているのかということです。空気が地球から無くなったら、人間は直ぐに死んでしまいます。また、水にしても同様です。また、自分の身体も、自分の意思とは関係なく心臓をはじめ様々な器官が働き、生命を維持しています。
それらは、エゴとは全く関係がない力によって統制され、人間を生かしているのです。ですから、私たちが本当に信じるべきものは、私たちを生かしている存在ではないでしょうか。
我々が、自分(エゴ)を投影する外的要素に対する様々な執着を捨て、私たちを生かしている存在だけを真に信じることが出来たならば、天国はその人のもとなるでしょう。
ヨガではシバ神がとても重要ですが、シバ神の役割は人間のあらゆる執着を取ることです。「ハリーオーム」と唱えることで、我からあらゆる執着を取り除きたまえということを意味します。
私は宗教に入信していませんが、イエスの言葉やヨガの哲学の中に共通した真理を見出すことができて、とてもそれらに触れることが大好きです。
最後にイエスが語った「8つの幸せ」を、震災に苦しむ多くの日本の人々と共に、シェアしたいと思います。
貧しい人たちは、幸いである、
天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、幸いである、
彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、幸いである、
彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、幸いである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、幸いである、
彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、幸いである、
彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、幸いである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、
幸いである、
天国は彼らのものである。
マタイによる福音書5章
イエスが山上の垂訓として語った言葉で。「貧しき人は幸いである、天国は彼らのものである」という言葉です。子供の時にこの話を聖書で読んだ当時、正直貧乏人ではなく、金持ちになりたいと思いました。なぜ、イエスは貧しき人を推奨するようなことを言うのか判りませんでした。
しかし、後年瞑想やヨガをすることによって、意識が浄化されクリアーになった時、その意味が始めて判りました。イエスが貧しいというのは、物質的なものではなく、人が信じる対象のことを指していて、その対象が少ないほど天国に近くなるということを。
一般的に人間は、自分(エゴ)を投影する様々なものに信頼を置いています。たとえば、社会的位置やお金や自動車や洋服や人間関係や自分の身体など沢山のものを抱えて、それらに対して価値を見出して、信じることによって自分自身を見出しています。
宗教に入信していない人でも、自分(エゴ)が決めた価値ある対象をいくつか決めて、それを信じて毎日の人生を送っています。それは宗教の教祖の代わりに、信仰の対象がお金だったり、社会的名声であったりするだけで、全く同じ心理的パターンです。
そうした時に問題なのは、そうした信仰の対象は必ず変化するもので、永続するものは何一つないということです。そしてその信じるものが原因で、人間は嘆きや悲しみや苦しみを抱えています。
では、私たちは何を信じて生きればいいのでしょうか。それを考える時、先ず知るべきことは、人は本当に自分の力で生きているのかということです。空気が地球から無くなったら、人間は直ぐに死んでしまいます。また、水にしても同様です。また、自分の身体も、自分の意思とは関係なく心臓をはじめ様々な器官が働き、生命を維持しています。
それらは、エゴとは全く関係がない力によって統制され、人間を生かしているのです。ですから、私たちが本当に信じるべきものは、私たちを生かしている存在ではないでしょうか。
我々が、自分(エゴ)を投影する外的要素に対する様々な執着を捨て、私たちを生かしている存在だけを真に信じることが出来たならば、天国はその人のもとなるでしょう。
ヨガではシバ神がとても重要ですが、シバ神の役割は人間のあらゆる執着を取ることです。「ハリーオーム」と唱えることで、我からあらゆる執着を取り除きたまえということを意味します。
私は宗教に入信していませんが、イエスの言葉やヨガの哲学の中に共通した真理を見出すことができて、とてもそれらに触れることが大好きです。
最後にイエスが語った「8つの幸せ」を、震災に苦しむ多くの日本の人々と共に、シェアしたいと思います。
貧しい人たちは、幸いである、
天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、幸いである、
彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、幸いである、
彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、幸いである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、幸いである、
彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、幸いである、
彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、幸いである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、
幸いである、
天国は彼らのものである。
マタイによる福音書5章
震災から1ヵ月 ヨガを伝える立場として思うこと
今日からちょうど1ヶ月前の3月11日に東日本大震災が起こり、津波で2万人以上の人命が一瞬のうちに亡くなり、そして数万の人の住居や職場と言った生活基盤が失われました。また、それ以上に東京を含め東北関東の人々は、精神的ショックやストレスを抱えたことと思います。そしてそうしたことが確実に、人々の意識の変革に作用していることです。
今回震災の経験を通じて、私自身ヨガの実践者として、またヨガを伝える立場として、いろいろ考えさせられることが多いものとなりました。またヨガの生徒さんからもヨガの観点でこの災害をどのように捉え、そしてどのように克服したら良いかの質問を受けたりしました。
先ず感じることは、我々は改めて生かされている存在であるということを、強く認識しなければならない言うことです。普段の日常に追われている生活をしていると、いつしか自分は自分の力によって生きていると錯覚してしまいますが、実は宇宙の遥かかなたの太陽によって生かされているのです
太陽のエネルギーが降り注ぎ、水の惑星地球は酸素と有機物が発生し、生命が育まれています。そして自分自身の肉体は、自分の意思とは関係なく心臓が生まれてから死ぬまで定期的に鼓動し呼吸をし、体内に入った食物は消化され肉体が維持しています。そうした生命の根源は、自分(エゴ)の意識とは全く関係の無い力で、規則正しく働いているのです。
そう考えるならば、我々が生きていること自体が、ある意味で奇跡でもあると同時に、人間はとても儚く壊れやすい存在でもあることがわかるはずです。震災を通じて、多くの日本人が死について考えたと思いますが、そうした時に我々は自らによって生きているのではなく、生かされている存在であることへ意識を転換させることが大事だと思います。
被害を受けた方々に対して、支援することももちろん大切ですが、可愛そうという意識レベルで震災を他人事にせず、物と情報に依存している日本人一人一人が意識変革していくことで、始めて2万人以上死者の命が価値あるものとして輝くのではないでしょうか。
その点ヨガは、そうした意識変革にとても有効なツールであると思います。ヨガアーサナの太陽礼拝のホーズは、太陽の恵みと自らの命を維持する肉体に対する感謝を育むのに、素晴らしいプラクテイスだと思います。
またヨガ哲学では、人間の苦しむ原因を、パンチャクレーシャとして以下の5つ示しています。
1) 無知(アヴィデイア)
無知とは、自分自身に関する無知です。つまり本当の自分の存在を知らないこと。これが全ての苦しみの根源です。ヨガでは真の自分の根源は、宇宙を創造した存在につながるものと説きます。
2) 自我意識(アスミター)
いわゆる自分(エゴ)の意識です。今回の震災でも、改めて自我意識による苦しみを浮き彫りにしてくれました。
3) 欲望(ラーガ)
果てしない欲望追求の結果、膨大な電気を消費する日本の社会。それを維持する原子力発電が、今回我々を苦しめる原因となっています。
4) 嫌悪(ドヴェーシャ)
今回の災害を嫌悪の対象として拒絶して終えてしまうと、我々人間の意識を変革することはできなくなります。拒絶するのではなく現実に向き合うことが大切です。
5) 死への恐怖(アヴェニベーシャ)
無知によって自我の力で生きていると誤認し、欲望と嫌悪が強いほど、死への恐怖は高まります。逆に、生かされている存在であることに気付くと死への恐怖は軽減します。
ヨガはアサナにしても哲学にしても実践の中にこそ真実があり、自らの体験の中でそれらを生かすことによって、「自分という存在は何者なのか」とい問いかけに対して、答えを導き出す手法です。
太古から受け継がれた非常に優れた自己実現のメソッドは、震災によって意識の変換を迫られている日本人にとっても価値あるものと思います。
ヨガのポーズを単に上達させるだけに留まらず、ひとりひとりが人生の意味を見出し、充実した人生を送れることを手助けすることが、今後ヨガインストラクターとして果たすべき役割であると強く感じました。
今後は志を同じくするヨガ仲間と共に、より幅広い分野でヨガの普及に努めていきたいと思いました。
今回震災の経験を通じて、私自身ヨガの実践者として、またヨガを伝える立場として、いろいろ考えさせられることが多いものとなりました。またヨガの生徒さんからもヨガの観点でこの災害をどのように捉え、そしてどのように克服したら良いかの質問を受けたりしました。
先ず感じることは、我々は改めて生かされている存在であるということを、強く認識しなければならない言うことです。普段の日常に追われている生活をしていると、いつしか自分は自分の力によって生きていると錯覚してしまいますが、実は宇宙の遥かかなたの太陽によって生かされているのです
太陽のエネルギーが降り注ぎ、水の惑星地球は酸素と有機物が発生し、生命が育まれています。そして自分自身の肉体は、自分の意思とは関係なく心臓が生まれてから死ぬまで定期的に鼓動し呼吸をし、体内に入った食物は消化され肉体が維持しています。そうした生命の根源は、自分(エゴ)の意識とは全く関係の無い力で、規則正しく働いているのです。
そう考えるならば、我々が生きていること自体が、ある意味で奇跡でもあると同時に、人間はとても儚く壊れやすい存在でもあることがわかるはずです。震災を通じて、多くの日本人が死について考えたと思いますが、そうした時に我々は自らによって生きているのではなく、生かされている存在であることへ意識を転換させることが大事だと思います。
被害を受けた方々に対して、支援することももちろん大切ですが、可愛そうという意識レベルで震災を他人事にせず、物と情報に依存している日本人一人一人が意識変革していくことで、始めて2万人以上死者の命が価値あるものとして輝くのではないでしょうか。
その点ヨガは、そうした意識変革にとても有効なツールであると思います。ヨガアーサナの太陽礼拝のホーズは、太陽の恵みと自らの命を維持する肉体に対する感謝を育むのに、素晴らしいプラクテイスだと思います。
またヨガ哲学では、人間の苦しむ原因を、パンチャクレーシャとして以下の5つ示しています。
1) 無知(アヴィデイア)
無知とは、自分自身に関する無知です。つまり本当の自分の存在を知らないこと。これが全ての苦しみの根源です。ヨガでは真の自分の根源は、宇宙を創造した存在につながるものと説きます。
2) 自我意識(アスミター)
いわゆる自分(エゴ)の意識です。今回の震災でも、改めて自我意識による苦しみを浮き彫りにしてくれました。
3) 欲望(ラーガ)
果てしない欲望追求の結果、膨大な電気を消費する日本の社会。それを維持する原子力発電が、今回我々を苦しめる原因となっています。
4) 嫌悪(ドヴェーシャ)
今回の災害を嫌悪の対象として拒絶して終えてしまうと、我々人間の意識を変革することはできなくなります。拒絶するのではなく現実に向き合うことが大切です。
5) 死への恐怖(アヴェニベーシャ)
無知によって自我の力で生きていると誤認し、欲望と嫌悪が強いほど、死への恐怖は高まります。逆に、生かされている存在であることに気付くと死への恐怖は軽減します。
ヨガはアサナにしても哲学にしても実践の中にこそ真実があり、自らの体験の中でそれらを生かすことによって、「自分という存在は何者なのか」とい問いかけに対して、答えを導き出す手法です。
太古から受け継がれた非常に優れた自己実現のメソッドは、震災によって意識の変換を迫られている日本人にとっても価値あるものと思います。
ヨガのポーズを単に上達させるだけに留まらず、ひとりひとりが人生の意味を見出し、充実した人生を送れることを手助けすることが、今後ヨガインストラクターとして果たすべき役割であると強く感じました。
今後は志を同じくするヨガ仲間と共に、より幅広い分野でヨガの普及に努めていきたいと思いました。
第6回 広島ワークショップ
昨年の3月に初めて、広島でワークショップを開催して以来、今回で6回目のワークショップとなりました。
広島の皆さんのヨガに対する熱い想いが、毎回内容の濃いワークッショップとなり、いつも時間があっと言う間に過ぎ行く感じです。
当日日帰りでは朝4時に起きて広島へ飛行機で向かい、最終の飛行機8時45分発の15分前に空港に到着するまで、とても充実した一日となりました。
今回は震災直後の開催でしたので、このような困難な時代に、どのようにして我々はヨガの実践者として、生活したら良いかの観点も盛り込みました。これについては、別途コラムを書きたいと思います。
また、新たな試みとして、日本から世界に広まった禅の思想とヨガ哲学の相似性について解説しました。私は、10代の頃より禅に親しんでいますが、その中でも道元禅師の教えに強く影響を受けました。後年にヨガの哲学を学ぶと本質的には共通の思想であることが判りました。
道元禅師の言葉で、私が特に好きな言葉をご紹介したいと思います。
・「仏道とは、自己を習うもの」
仏道を習うということは、自己を習うのである。自己をならうとは、自己を忘れるのである。自己を忘れるとは、万法に証らされるものである。万法に証らされるとは、自己の身と心も、そして他人の身と心もなくなってしまうものである。
・「有時」
形として現れている時間が、すべての「時」なのである。存在としての草も存在としての形もみな「時」なのである。そのときそのときの「時」にすべての存在がありすべての世界があるのである。しばし、今の「時」から漏れてしまっている存在や世界があるのだろうか、しっかり考えてみるべきである。
また、今回のワークショップの内容です。
◎広島第6回ワークショップ
1) マイソールクラス (2時間)
ヨガ本来の練習が、このマイソールスタイルの中にあります。練習者は静寂の中で、自分の身体と心と対話しながら練習します。その手法は、練習者に深い満足を与えます。また指導者は個別に、練習者と一体感をもってポーズの手助けをします。
2) 陰ヨガと禅 (2時間)
このクラスは、ヨガと禅のコラボレーションクラスです。陰ヨガは、ひとつのポーズを長くすることで深いリラクゼーションと瞑想状態を作り出すのに効果的です。陰ヨガで十分にリラックスした後は、ディヤーナ(瞑想)と禅の関係性を説きながら、ヨガの観点から禅の思想を学びます。
3) アシュタンガヨガテクニカル (1.5時間)
アシュタンガヨガの有名なフレーズとして「99%プラクティス1%セオリー」があります。しかし、1%セオリーを理解しないままプラクティスを行っても、質の高い練習は望めません。今回はスタンティングやシッティングの各ポースの取りかたや、ジャンプスルージャンプバックの練習方法を学びます。
4) やさしいヨーガスートラ (1.5時間)
ヨーガスートラは、ヴェーダに基づく6つの哲学体系のなかで実践により意識を高めるよーガ学派の経典です。しかし、その実践の書が難解なものとして認識されがちです。このクラスでは、なるべく実生活に役立つようにヨーガスートラのエッセンスを分りやすく解説して、より深いヨガの練習の手助けを目的にしています。

広島の皆さんのヨガに対する熱い想いが、毎回内容の濃いワークッショップとなり、いつも時間があっと言う間に過ぎ行く感じです。
当日日帰りでは朝4時に起きて広島へ飛行機で向かい、最終の飛行機8時45分発の15分前に空港に到着するまで、とても充実した一日となりました。
今回は震災直後の開催でしたので、このような困難な時代に、どのようにして我々はヨガの実践者として、生活したら良いかの観点も盛り込みました。これについては、別途コラムを書きたいと思います。
また、新たな試みとして、日本から世界に広まった禅の思想とヨガ哲学の相似性について解説しました。私は、10代の頃より禅に親しんでいますが、その中でも道元禅師の教えに強く影響を受けました。後年にヨガの哲学を学ぶと本質的には共通の思想であることが判りました。
道元禅師の言葉で、私が特に好きな言葉をご紹介したいと思います。
・「仏道とは、自己を習うもの」
仏道を習うということは、自己を習うのである。自己をならうとは、自己を忘れるのである。自己を忘れるとは、万法に証らされるものである。万法に証らされるとは、自己の身と心も、そして他人の身と心もなくなってしまうものである。
・「有時」
形として現れている時間が、すべての「時」なのである。存在としての草も存在としての形もみな「時」なのである。そのときそのときの「時」にすべての存在がありすべての世界があるのである。しばし、今の「時」から漏れてしまっている存在や世界があるのだろうか、しっかり考えてみるべきである。
また、今回のワークショップの内容です。
◎広島第6回ワークショップ
1) マイソールクラス (2時間)
ヨガ本来の練習が、このマイソールスタイルの中にあります。練習者は静寂の中で、自分の身体と心と対話しながら練習します。その手法は、練習者に深い満足を与えます。また指導者は個別に、練習者と一体感をもってポーズの手助けをします。
2) 陰ヨガと禅 (2時間)
このクラスは、ヨガと禅のコラボレーションクラスです。陰ヨガは、ひとつのポーズを長くすることで深いリラクゼーションと瞑想状態を作り出すのに効果的です。陰ヨガで十分にリラックスした後は、ディヤーナ(瞑想)と禅の関係性を説きながら、ヨガの観点から禅の思想を学びます。
3) アシュタンガヨガテクニカル (1.5時間)
アシュタンガヨガの有名なフレーズとして「99%プラクティス1%セオリー」があります。しかし、1%セオリーを理解しないままプラクティスを行っても、質の高い練習は望めません。今回はスタンティングやシッティングの各ポースの取りかたや、ジャンプスルージャンプバックの練習方法を学びます。
4) やさしいヨーガスートラ (1.5時間)
ヨーガスートラは、ヴェーダに基づく6つの哲学体系のなかで実践により意識を高めるよーガ学派の経典です。しかし、その実践の書が難解なものとして認識されがちです。このクラスでは、なるべく実生活に役立つようにヨーガスートラのエッセンスを分りやすく解説して、より深いヨガの練習の手助けを目的にしています。







